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悲しみ

2014年はプライベートでも大きな事件がありました。
私を本当の娘のように可愛がってくれた義母が亡くなったのです。

それはジョセフ来日の10日ほど前で、
それより少しでもずれていたら業務に支障をきたす状況で、
義母の思いやりの心を肌で感じました。

義母は80歳を過ぎていましたが、
ネットを見てアイナのスケジュールを調べ、
講座がある日は私の大好きなカキフライや豆ご飯を作っては、
食べにおいでと電話をくれました。

サロンから2分の実家に上がり込むと、
私は誰が見ても嫁とは思われない態度でくつろぎ、
ご飯を食べ、お皿も洗わずにお土産まで持たされ、
いつも満たされて家に帰っていました。

夫は感情をあまり表に出さない人でしたが、
義母が亡くなった後はさすがに悲しみをこらえきれない様子で、
義母が好きだった音楽を聞きながらぼんやりと過ごしていました。
お酒の量が一気に増えたのには困りました。

もともと食が細いのに、ほとんどつまみを食べずに毎晩、
焼酎をロックで飲み続けるのです。

私はその頃、
作者とのストレスからジャンクフードやスイーツを過食し、
体重が増え続けていましたが、
夫はガリガリにやせ細っていきました。

2人とも相手のことを思いやる余裕はなく、
心が荒れていきました。

一番困ったのは夫が忘れっぽくなったことです。
私はまだまだジョセフのプロモーターとしての地位を
固め切ってはいなかったので、
夫がジョセフの事務でミスをすると、
怒りが爆発し、口汚くののしりました。

お酒は怖いもので、忘れっぽさは病的となり、
私は業務連絡を口頭で伝えることができなくなりました。
酔っているときにはメモさえもなくしてしまうことがあり、
ついに私は目の前にいる夫に、
メールで事務連絡をするようになりました。
それは大きなエネルギーロスでした。

耳が遠くなったのか、テレビの音はいつもとても大きく、
私は家に居ながらにして居場所をなくしてしまいました。

さて、心が歌う人生を選択するなら、
何か対策を考えるべきでした。

新しい事務員さんを雇うことも可能でしたし、
別居・離婚についても真剣に考えるべきでした。

ところが私は頭が固く、結婚したら一生添い遂げるのが当たり前で、
別居も離婚も選択肢としては思いつかなかったのです。

「私は夫に愛されていない」

私は愛されていない自分をかわいそうと思いながらも、
夫と向き合うことは避け、
スケジュール帳を真っ黒に埋め尽くして、
テニスの時代と同様の忙しい日々を過ごすことで
ストレスから目をそむけ続けたのです。

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