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第3章 宇宙のユニークな愛

テニスコートを離れて

2005年年春、
私は24年続けたテニススクールの仕事を辞めました。

そのあと何をやるかなど、まったく決まっていないのに、です。
先が見えない日々は、予想以上に恐ろしいものでした。
家族からの非難も大きく、
「どれだけ迷惑かけているのかわかっているの?」
と責められました。

仕事がない日々は焦りを生み、
ゆったりした時間を楽しむ余裕は残念ながら持てませんでした。

当時はハワイでジョセフが口にした
「ビジネスパートナー」
という言葉が忘れられず、
どんな人と組みたいのか、暇さえあれば妄想していました。

「尊敬できる人がいいな」

「行動力があって、誠実で、遊び心もある人がいい」

「思いやりもないとね」

などなど、
なかなか条件は厳しかったと思います。

その秋、当時のジョセフプロモーターから、
ジョセフの通訳を頼まれました。

スタッフとして見るジョセフの姿は、
私が思っていた静かなヒーラーのイメージとはまったく違っていました。

ものすごく生真面目に、きっちりきっちり仕事をします。
お客様の生年月日から占星術のバースチャートをプリントし、
星の配置を確認して準備、
それからお部屋を浄化し、グリッドを組んで結界を張ります。

さらには呼吸法や瞑想といったセルフケアを抜かりなく行います。
それまでは優しい、とか穏やかな、
などの言葉がぴったりな人だと思っていたのですが、
実際は何事にも全力で取りくむ情熱の人で、
かと思うと子供のような純真さも見せる、
とってもユニークなキャラだったのです。

発見!

「ビジネスパートナーが必要」
と教えてくれたその人が
私の理想のビジネスパートナーだったのです。

もちろんそんなことは口にはできません。
でも、カチッとスイッチが入り、私は夢中になりました。

「私、決めた!」

「この人とビジネスする!」

それは聞き分けのない子供のような、
もうどうにも止まらない、激しく強い衝動だったのです。

その秋は数回の個人セッションを通訳し、
なんとかこなしたのですが、自分では不本意でした。

ボイジャータロットのことをまったく知らなかったため、
もたもたしてしまったのです。

これではダメだ……
どうしても、どうしてもジョセフと一緒にお仕事したいと燃え上がった私は、
すぐにネットでボイジャータロットを購入しました。

続けて英語の厚ぼったい解説書も手に入れ、
ボイジャータロットと英語を同時に勉強し始めたのです。

心は歌を歌い、勉強も喜びに変わっていました。

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