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訴訟の危機

2012年1月、実家のマンションが売却され、
私は夫の実家のある中村橋の駅の近くに物件を発見し、
2月に「サロンアイナ」をオープンしました。

実家は無料で使わせてもらっていましたので、
家賃のプレッシャーから、
コピーライティングやマーケティングを学び、
仕事を増やしました。

順調ではありましたが心がいつも歌っていたかというと、
そうではありませんでした。

2012年夏、認定者の一人が突然アイナにやってきました。
なんと、独自でジェームスを招致するというのです。

私がなかなか2回目の招致をしないことにしびれを切らしたジェームズが
直接プラクティショナーに依頼したのです。

私の気持ちは複雑でした。
私が苦手なジェームズをプラクティショナーが招いてくれる。
それはありがたいことのように思えました。

ところが友人に相談すると、友人は烈火のごとく怒って、
えみぃがこれまでどれほどの苦労をしてボイジャーを広めてきたか、
作者もプラクティショナーもまったく理解していない!というのです。
理解者を得て、私はまたまた心が歌わない方向に進んでしまいました。

「あなたには任せられない、ボイジャータロットジャパンが主催します」
「あなたは当日の運営をしてください」
私はプラクティショナーに冷たく告げました。

2013年2月、
秋に続いて来日した作者は招致について厳しい要求を出してきました。
年に3回、最低でも2回は呼ぶようにと厳しく命令したのです。

持ち帰りたい金額も具体的に提示され、
ああ、これが契約を渋っていた理由だったのかと、やっと長年の謎が解けました。

ジョセフを年2回、ジェームズを年2回か3回招致。
そんなことは不可能です。

そこで2013年の秋はジョセフを休んでジェームズを呼ぶことにしました。
ジェームズはやっと自分の要求が受け入れられたと満足し、
ボイジャータロットジャパンの5周年にはお祝い動画を作って送ってくれました。
私は信頼できるプラクティショナーにジェームズのプローモートを任せ、
自分が直接タッチしなくて済むようにしました。

翌2014年、ジェームズはあれほどバカにした認定の仕組みを
自分で作ろうと動き始めました。

私は商標を登録しておいてよかった、
これでなんとか権利が守れると思いました。

ジェームズの弁護士から
おそろしいメールが届き始めたのは2014年、秋のことです。

「商標を不当に取得した」
「これは裏切りであり、許すことはできない」
「ただちに譲渡しなければ訴訟を起こす」
そんな内容でした。

私はパニックを起こし、普通に歩いていても足が震え、
呼吸が苦しくなりました。

耐えきれずに譲渡し、訴訟を回避しましたが、
やりきれない気持ちでした。

今度こそ作者とは距離を取る。
もうプロモートはしない、コラボもしない、と決意しました。

作者はやがて国際認定という新しい仕組みを作り、
ボイジャータロットジャパンで活躍していた
プラクティショナーたちと活動を始めました。

私は一番エネルギーが必要な開墾と種まきをし、
作者が刈り取る、という理不尽さに腹を立てましたが、
それ以上に辛かったことは、弁護士から
「ジェームズは君のことを信頼したことは一度もない」
というメールをもらったことでした。

5周年のお祝いムービーで、
「ボイジャータロットジャパン最高!」
と連呼していたジェームズが本当にそんな言葉を口にしたとは、
どうしても信じられませんでした。

悲しみがあふれ、どうしていいかわからない状態で、
私が手にしたのはなんと、ボイジャータロットでした。

作者と心が離れても、ボイジャータロットとは離れられない。
そんな私でした。

作者の作った認定の仕組みが次第に形になり、
たくさんのプラクティショナーが作者について去っていきました。

なかにはボイジャータロットジャパンの批判をすることで
自分の立ち位置を有利に見せようとするあきれた動きもあり、
無邪気に人の善意を信じてきた私は人間不信に陥りました。

そしてボイジャータロットジャパンは、創業以来、
最大の危機を迎えたのです。

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