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結婚、テニススクール

結婚と同時に、練馬区に新しいテニススクールがオープンしました。
オープニングスタッフとして関わることができたので、愛着も湧き、
夫と一緒にレッスンに明け暮れました。

海外で豊かすぎる暮らしをしていたためか、どうしてもやりくりがうまくできず、
友達を招いて鶏肉を2キロ買って料理をふるまうなど、
少し油断をするとお金が足りなくなり、年中自己嫌悪に落ち入りました。

補うために休みの日には別のテニススクールでレッスンさせてもらい、
必死でお金を稼ぎましたがそれでも足りず、あえいでいました。

夫もなんとかしようと転職を繰り返し、
その度にますますお金がなくなるという、悪循環でした。

そんな状況でしたが、27歳で息子が生まれ、
両家の親に助けてもらって子育てしました。
特に義母はたったひとりの孫を目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれ、
そのおかげで一人息子は素直な優しい子に育ちました。

夫も子供が大好きでキャンプに連れて行ってくれたり、
みんなでダーツを楽しんだり、お祭りに行ってたこ焼きを食べたりと、
子供の頃に憧れていた日本の一般庶民的な生活を満喫しました。

息子の誕生日には毎年私がケーキを焼いて、両家の母を招き、
一緒に食事をしました。

決して裕福ではありませんでしたが、
幸せな家庭を味わうことができ、感謝しています。

息子が小学5年の時、マンションを購入しました。
夫はローンの支払いのためにテニスの仕事を辞め、
運送業に転身、朝は早くから夜遅くまで働いてくれました。

家族のための転職で、感謝すべきなのはわかっていましたが、
会話が少ない生活が続き、寂しく感じました。

息子が小さいうちはそれでもいくらかコミュニケーションがあり、
まだよかったのですが、中学、高校と大きくなるにつれ、家族旅行も減り、
どこか満たされない日々でした。

一方、私はテニススクールのマネージャーとなり、経営に関わっていました。
無料体験レッスン。
振替自由。
お母さんが子供を預けてのびのびテニスができるよう、ベビールームを設置。
トーナメント開催。

さまざまな企画を打ち出し、スクールの人数を増やしました。
ニュースレターを書き、継続率アップも果たしました。
スタッフ旅行も毎年企画し、私が中心となって料理をし、
学生のアルバイトたちとワイワイ楽しく遊びました。

また、オーナーを説得してエントランスを改装したことで
一気に生徒数が増えたこともありました。

この成功体験がのちにおそうじ風水の仕事を始める自信となりました。

転機はテニスコートが2面増え、4面になった時にやってきました。
スタッフの人数を増やさなけらばならず、
それまでのファミリーなムードが崩れたのです。

新しいスタッフは新しいやり方を主張し、今までのやり方にこだわる私は、
次第に居場所がなくなっていきました。

ジュニアプログラムを始めようと提案したのは
居場所を失いかけた私の最後の抵抗でした。
スポンジボールでちびっ子たちにテニスを教えるジュニアプログラムは大ヒットし、
子供の生徒数はゼロから160人へと増え、経営はぐんと楽になりました。

しかし、流れを変えることはできませんでした。
私の給料にその功績は反映されず、
全く関わらなかった社員が私以上に昇給したのです。

私は勤務時間を増やして
新しいプロジェクトに取り組んでいましたので納得がいかず、
増やした分のレッスンをアルバイトに任せました。

すると、驚くことに給料を減らされてしまったのです。
私が作った売り上げは新しいメンバーの昇給に使われ、
「もう私はいらない。求められていない」
とはっきりわかりました。

レッスン自体は楽しかったのですが、
ストレスから腰が痛くなったり、風邪を繰り返しひいたり、
心身ともにバランスを崩してしまいました。

長年の苦労が実り、やっとボーナスももらえるようになって、
収入もそれなりに安定していましたが、
「もうだめだ」
「居場所がない」
「辞めたい……」
そんな気持ちになり、毎朝うめきながら出勤しました。

生徒さんにはニコニコ笑顔で接するのですが、
その笑顔がいつか引きつっていきました。

「お願い!誰か助けて!」

心はいつも悲鳴をあげていました。

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