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テニスに情熱を注ぐ

中学1年で帰国すると、今度はクラスメートが子供っぽく感じ、
馴染むことができませんでした。

外地では日本人だからと受け入れられず、帰国すれば海外育ちだからと警戒される。
傷つきたくないため、幾重にもバリアをはって、
本当は友達が欲しくてたまらないのに素直になることができませんでした。

幸いテニススクールではジュニア強化チームに入ることができ、
素晴らしい環境の中、夢中で練習しました。競技として真剣に取り組んだ結果、
全国中学のダブルスで優勝、シングルスは準優勝と、戦績を残すことができました。

夏に全国大会が終わると、秋からは高校受験に集中しました。
英語ができるメリットはありましたが、漢字や国語はかなり遅れており、
勉強ばかりの日々はとても辛かったです。

それでも必死に取りくみ、なんとか慶應義塾女子高等学校に入りました。
これで父にほめてもらえると期待した父の言葉は、
「都立に行って東大を目指して欲しかったな」
「でも女だし、まあ、慶應でもいいか」
でした。

父は東大卒で、在学中に外交官試験に受かった地元の英雄です。
写真記憶ができる人で、フランス語の試験で暗記した教科書をそのまま書いたら
カンニングを疑われて呼び出され、
教授の前でもう一度暗唱することでやっと信じてもらえて無罪放免になった、
という武勇伝があります。

それほど暗記が得意なので、私が必死に勉強してやっと合格したことなど、
理解できないようでした。
「この程度のがんばりでは父には認めてもらえない」
私は愕然としました。
「もっともっとがんばらないといけない……」
いつもなにかに追いかけられている、
そんな苦しい少女時代でした。

高校に入ってからも、孤独感は続いていましたが、
テニスに打ち込むことで紛らわしていました。

まるで自分をいじめるかのように厳しいトレーニングを課し、
たくさん走って朝から晩まで必死に練習しました。

足が遅いのがコンプレックスで、トレーニングセンターに通って走り込み、
プロの選手が行うようなウエイトトレーニングもやりました。

試合の練習相手には苦労しました。
テニススクールのジュニアチームは中学生まででしたので、
私と同じようにテニススクール出身で、
学校の部活では試合の相手がいなくて困っている人を探して声をかけました。

自分でも驚くほどの行動力を発揮し、あちこちで練習させてもらいました。
通っていたスクールから独立したコーチが赤坂でスクールをやっていて、
そこで練習させてもらえたのは幸運中の幸運で、
あこがれのプロ選手と練習試合をさせてもらったこともあります。

インターハイは高校1年から出場することができました。
その時突然、
「この大会、優勝したい!」
と思い、
「絶対に優勝する!」
と固く心に誓いました。

高校2年の時には関東高校で優勝。
その年は国体選手にも選ばれ、東京代表を経験しました。

母は私が活躍するとものすごく喜び、
商店街中に自慢して回るのでとても恥ずかしい思いをしましたが、
父は対照的に私の戦績には無関心で、それはそれで悲しく感じました。

この頃、プロテニスプレーヤーとなって世界を転戦することを夢に見ました。
しかし、父は
「体も小さいし、その程度の実力では世界は無理だ」
と一言つぶやき、私もそうだなと納得し、夢はあっけなく消えました。
「女だからね」
私は勝手にそんな言葉を付け加え、やっぱり、と思ったのです。

高校3年のインターハイの結果は準優勝でした。
今思えば自慢してもいい成績ですが、
優勝を狙って努力していた私は打ちのめされました。
「決めればできる」
「努力は報われる」
とずっと無邪気に信じていたので、
裏切られたように感じました。
自分が信じられなくなった、大きな出来事でした。

大学では体育会の庭球部に所属しました。
当時の庭球部には時代錯誤的な上下関係や、
不思議な決め事がたくさんありました。

電車の中でも先輩の姿を見つけたら大きな声で
「ちわ」
と言わなければなりません。

先輩に逆らうことは許されず、間違いを指摘することもできません。
私の態度が悪いからと、
連帯責任で学年全員が走らされたこともありました。

「わかってると思うけど、走って」
など、
まるで昔の軍隊のようで、テニスの技術を磨く環境ではなく、
辛いことしか記憶にありません。

女性が体育会にいること自体を不快に思っている男子も多く、
一生懸命練習しても認められず、暗黒の時代でした。

理不尽な仕打ちに海外育ちの私がついていけるはずもなく、
途中で退部。

大学時代は戦績も残せず、挫折感が残りました。

テニスで強くなりたいという夢は捨てきれず、
日吉にあったテニススクールのヘッドコーチに練習相手をしてもらうようになりました。
その彼とお付き合いが始まり、テニススクールのレッスンも手伝うようになりました。

彼を家に招くと父がとても喜び、お酒の相手をさせました。
「早く結婚して、片付いて欲しい」
そんな父の気持ちを彼も私も敏感に感じ取り、
両家の顔合わせ、結納と話しが一気に進み、
大学を卒業して半年後の10月に結婚しました。

23歳でした。

 

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